書きたいことはあるけれど
書きたいことは、毎日のように沸いて出てくるのですが、文章力というか表現力が追いつきません。
メモ書き程度に書いて下書き保存したものがなんだかたまっていきます。
でも下書き保存したものは時間の経過とともに、なんか書きたいこと違うな、というのも出てくるので、できあがらないものもありますよね。
さて今日も沸いてきた書きたいことを書き始めたわけですが、またもや下書き保存で終わってしまうのか?!という取り留めのない話です。
亡くなった従姉妹の家に行く
先日亡くなった従姉妹の家に行ってきました。
月命日には行けなかったし、これからはひょいと行くということもできなくなりそうだからと思い、手を合わせに行ってきました。
まだ信じられずに居る
まだ半分信じられずに居るのです。しっかり見送ったはずなのに・・・。
従姉妹の家にはまだ叔母が居て話していると、従姉妹は会社に行っているだけで、ふと帰って来るような、そんな気になってしまいます。
その後すぐにそんな事がないということを思い出し、鼻の奥がツーンとします。
おばちゃんですらこうなのだから、母、妻、娘を失った家族の思いは・・・。
なんとか生活している
以前とは違う朝だけど朝はやってきて、以前と同じように会社や保育園に行き、以前とは番う夜を過ごして、となんとか生活している気がします。
その中で、叔母だけがまだ自分の生活に戻っていなくて、もう少ししたら自宅に戻ると思うのだけれど、戻ったらさらにがっくりきそうで、ちょっと心配です。
やっぱり何を書きたいんだかわからないけれど
そんな感じでも、このままできたことにしましょう。
そんな日もある・・・そんな日ばっかりかも(笑)
ドロドロから抜け出したい
おばちゃんの心の中、おばちゃんなのにドロドロしています。
まずは過去の恋愛
なぜか男がダメになっていく、というのがあります。
1)仕事より趣味でどんどん出世街道から離れていった男
2)仕事をやめてヒモになった男
とかですけれど、それぞれ最初からそうだったかというとそうではないのですよね。
もともとそういった素養はあったのでしょうけれど、おばちゃんと過ごすうちに顕著になっていったように思います。
仕事でも
チームで仕事をしていても、いつの間にか、おばちゃんの負担だけが増えていき、おばちゃんアップアップの溺れ死に寸前になります。
きっとおばちゃん自身に問題がある
そんなわけで、おばちゃん自身に問題があると思っているわけですが、それが何かわかっていないから、繰り返してしまうのでしょうね。
何が原因なんだろう?と一番顕著だったヒモ男とのことを考えるわけですが、思い当たることと言えば、結局、何か問題が発生した時に解決するのはおばちゃんだった、ってことかなと。
子供の頃のことを振り返る
おばちゃんの両親はとても仲が悪かったです。
「むしろもういい加減に離婚してくれ」と子供だったおばちゃんが思うほど。
生活面では、父親が金銭感覚のおかしい人で、母親がお金の面でとても苦労していて定年まで働いていました。
反面、育児面では父親は子供好き、母親は子供に無関心、参観日に来るのはいつも父親、何かあってきちんと話を聞いてくれるのは父親でした。
母親は無関心というより、お金の苦労があったから子供に目を向ける余裕がなかったというのもあったかもしれませんが・・・やっぱり無関心だったと思います。
例えばケガをしたとして、母親にはまずは怒られるというのが常でしたから。
そういうことは彼女の中で、面倒な事、になっていたのではないかと思います。
母親とは気が合わない、父親は・・・
そんな子供の頃があって、母親とは気が合いません。
何に関しても否定的なことを言われ自分がいかにできたかを語られてきたので、用事が無いのに話をする気にはなれません。
父親のことはお金のことを理解できるようになってからは客観的にロクデナシだなと思うし、父親がああでなければ母親もまた違っていたのかも、と思います。
ただ、子供の頃は父親の事が大好きだったという記憶が残っています。
それが口ではなんと言ってもヒモ男の存在自体を肯定してしまうことになってたのかな、と思ってみたりもします。
自己肯定感が低いままなのかも
結局、誰かに頼ってもらうこと、それに応えることで、自分の存在意義を確認しているのかな、とも思います。
それが結果的にダメ男を作り出してしまうのかな、いわゆる共依存な状態だったかも。
今はそれが子供になっている気がしなくもないので、とっとと解決しておかないと子供の自立を邪魔してしまいそうで、ちょっと怖いです。
そんなわけで
大きなことを言えば、今の日本の経済状況だったり、果ては政治についてだったりを考えてしまう日もあるのだけれど、まだまだ闘うべきは自分の内面のおばちゃんでした。
事を成すにはそれ相応のものがある
おばちゃん、ブログを書き始めて思ったことがあります。
人気ブロガーさんてやっぱり共通しているところがある、と感じます。
おもしろい
内容は人それぞれさまざまだけれど、やっぱり読んでみると「おもしろい」のですよね。
おばちゃんがさして興味のないことであっても、最後まで読んでしまいます。
とにかく書き続けることも凄い
時々、「最初の頃は~」とか「100記事になるまでは~」とか、とにかく目標を持って更新されていて、感心します。
不慣れなおばちゃんは、ネタがない日もありますし、これを書こうと思っても書いているうちに迷うものもあったりで、中々書き進められない日もあります。
ええ、この始めて間もないブログでも、その片鱗が見えますよね(笑)
ブログを始めようと思ったきっかけ
この頃、やりたい事をやる、だとか、書きたい事を書く、だとか書いていたわけですが、結局、それが出来ていない事がストレスだったんですよね。
実社会でホンネのすべてをさらすことは社会的に難しいこともあるけれど・・・、とすでに「難しい」と思っているあたり、もう全然ホンネとは別の世界で生きている証拠なわけで、おばちゃん、かなりの腹黒です。
結局それらはストレスとなって我が身に返ってくるわけで、体調を崩してしまったので逃げ出したわけですが、上手にホンネを伝える術を持ちたいな、と思ったのがきっかけです。
始めてみると中々難しい
そんなわけで書き始めたのですが、これが中々難しいのです。
何が難しいって、腹黒を隠しながら生きてきたので、それが習慣となっています。
ですので、いざホンネを書こうと思っても、腹黒なので書いていて悶々してきます。
こんなこと書いて不快に思う方がいないかな?が一番ですけれど、それ以前に読んでる人が居ないだろう、って話です。
いやいや、ほら、人気ブロガーになっちゃったりして、とか思うじゃないですか(笑)
人気ブロガーさんの話に戻って
上手にホンネを書いていらっしゃる方が多いですよね。
皆さん、ご自分の意見をお持ちでそれらを書いていらっしゃいますが、少なくともおばちゃんが不快に思う方っていらっしゃいません。
そういうところを見習いたいな、と思います。
そんなわけで
話が飛躍してしまいますが、人気ブロガーさんは「自分で決めたことを必ず実行している」と思います。
それと同じ事を、世の中の社長さんに対して感じますし、その社長さんの会社は魅力的だなと思うことが多いですね。
やっぱり、事を成すにはそれ相応のものがあるんだな、と思います。
書きたい事を書く
やりたい事をやる、に通じることですが、書きたい事を書く、っていうのも大事だと思います。
大事というか・・・心に溜めておくのってよくないな、と思います(笑)
9割は仮面でできている
特に会社に居る時だけれど、9割は仮面で過ごしていました。
管理職であったこともありますし、フリーランスでプロジェクトに参加、という経験もありますが、ホンネを言っているフリをして9割を仮面で過ごしていました。
別に悪いことじゃないと思っていたのですけれど、小さい会社に居た時に社長に「この場はホンネで話そうぜ!」と言われた時には困りました。
ホンネでと言いつつホンネで言っていい話は限られている
当時の社長は「ホンネで・・・」と言いながら、自分が待っている話というのがあって、それ以外の場合、やっぱり機嫌が悪くなるわけです。
既存ビジネスでは頭打ちで、いずれ立ち行かなくなるという状況だったので、新規ビジネスを早期に立ち上げねばという話の中ででしたが、新規ビジネスに前向きな話以外は受け付けないわけです。
何度ものどまで出掛かってやめた言葉たち
そんな状況の中、社長のやっている仕事はといえば経理&総務の仕事ばかり、会社への出社日数は月4~6。社長自ら新規ビジネスの立ち上げを率先してやるということはなく、おばちゃんたちは既存ビジネスもやりながら、新規ビジネスを早くやれとお尻を叩かれる、そんな日々でしたので、
「てめぇがやりやがれ!」
と何度ものどまで出掛かってはやめていて、そんな中で「ホンネで」なんて言われても、言えるわけありません(笑)
俗に言う、ブラック企業であったと思います。
仕事はやりがいとお金のバランス
おばちゃんはブラック企業で過労で入院したこともありましたが、仕事は嫌いではありませんでした。
当時は仕事を覚えるのが楽しくて、自分の知識欲が満たされさえすれば、忙しくてもへっちゃらというか。
それがいいんだ、と言いたいわけではなく、やりがいとお金(給料)のバランスは人それぞれで、そのバランスが崩れた時はモチベーションが下がるという話です。
そんなわけで
おばちゃん、いい歳して仕事を辞めてしまいましたとさ
いえね、小さい会社にありがちな厳しいキャッシュフローの中で、売上をあげろ、給料払えなくなるぞ、なんで新規事業が立ち上がらないんだ、と高みの見物している人に言われたくなくなった、という話でした。
はぁ、ちょっとすっきり(笑)
やりたい事をやる
4ヶ月前、おばちゃんの従姉妹が進行がんのステージ4であることがわかりました。
40歳になったばかり、従姉妹の子供は5歳と1歳。
治療に臨むが
ステージ4ではあるけれど、抗がん剤が効けば、1度は寛解に持っていけるだろう、残念ながら再発率は高いけれど、という医師の話の元、治療に臨みました。
残念ながら結果は話されたことと同じにはならなかったけれど。
自分だったら?
医師からの話はまた聞きなのだけれど、結果として発見時から3ヶ月で逝ってしまったので、そんなに短いのであればもっと違う選択もあったかも、と思います。
でもそれは、もう結果がわかっているからであって、当初はもう少し先の未来のことも考えていたし、3ヶ月と言われて(発見時、無治療だった時の余命の話はされていない)冷静に受け止めて即座に結論を出せるか、というとそれは難しいだろうなとも思います。
それに、自分の気持ちももちろんですが、家族の気持ちもありますし。
残される家族としては、口に出すかどうかは別ですけれど、できる治療があるならば可能性が低くても、それを選択して欲しい、と思います。
本人だったら、残された時間をできるかぎり楽しく過ごすことを優先したい、という気持ちもあります。ですが、今の子供の成長度合いを考えた時、最後まで頑張る姿を見せたい、とも思います。
やりたい事をやる
そんなこんなことを色々考えてしまったこの1ケ月ですが、現状、自分の健康状態にいささか不安はあれど問題はないというのがわかりましたし、今を考えるほうが先決です。
自分ならどうするか?っていう選択を迫られているわけではないけれど、それは思ったより早く来てしまうこともある前提で、日々、やりたい事をやって過ごしたいな、と思います。
「いい子」って何?
おばちゃん=更年期と子供=思春期、の喧嘩って中々激しく、どこを間違ってこんなことを言う子になった?!という衝撃の「死ね!」攻撃をくらいました。
「くそババア」ぐらいは想定していたのですけど、そこまでいくかね?!とおばちゃんは衝撃を受けました。
言った子供自身もショックを受けていましたけれども。
きっかけはくだらない
我が子はあまり勉強熱心な子ではないのですが、ここのところ、最低限のこともやらずじまいだったので、中間テストで赤点、補習対象者となってしまいました。
おばちゃんの方針として、やってできないのは仕方ない、やらないでできないのは怠慢だ、ということで「やらない」ことを怒っているわけです。
ギリギリ補習を免れるぐらいなら、素直に補習を受けて来い、と思うわけで補習になったこと赤点になったこと事態は、別にどうでも良かったので、「勉強しないのはよくないよね」という程度の話をしたのですが、何がどうなったのか冒頭の言葉が繰り出されたという話です。
思春期ってそんなもの
おばちゃんもそれなりに思春期を通過して来たわけですが、遠い昔のこと過ぎてよく覚えていないこともしばしば・・・。
当時、親と何かを話した記憶がない、というのが正しいかも。
おばちゃん母は、あまり子供に興味がない人だったというか、多分、子育て=お金かかる=働く、というわけで自分が働くことに夢中で気が回らなかったのだろうと思われます。
でも、おばちゃん自身、大人に対して色々なことを思っていたことは間違いないです。
大人が言うことっていわゆる正論が多い、でも大人も聖人君子じゃないので必ずしもできているかっていうとそうでもないことが多い、と感じていた気がします。
矛盾が理解できる歳ってことだと思いますが、矛盾を抱えている人に指摘されても聞く耳持てなかった、と思います。
先生に対する問題行動
そんなわけで、おばちゃん母との関係性が希薄だったので家庭内でどうのということはなかったのですが、ある日、おばちゃんは学校で先生に対して問題行動を起こしてしまったことがあります。(内容は割愛)
内容は割愛しますが、公立中に通っていたため、そんなことが進学にも影響したこともあって、おばちゃんは子供に対して神経質になっているのかも、というのはあります。
余談ですが、子供に中学受験させた理由のひとつでもあったかな、と思います。
最終的に話し合い
少し落ち着いてから子供と話したことによれば、「自分自身どうしてそうなったかわからない」ということで、「いい子になる」と子供が言ったわけですが、「いい子」って何さ?という話です。
「いい子」という抽象的な表現を使ってしまうあたり、まだまだ幼いと感じてしまいつつ、親の私が「いい子」を求める言い方をしてしまっているのか、と反省もしてしまいました。
あの話の中で、どこが「いい子」を求める言い方になってしまったんだろう?
これは事あるごとに考えないといけませんね。
「いい子」って主観ですからね、極端な話、おばちゃんにとって必ずしも「いい子」ではなくても、自分がなりたい自分になってくれればよいと思うのですが、うまく伝えられてないのですね。
まとめると
おばちゃんが思う「いい子」は、「なりたい自分になれるよう努力している子」なので、それをきちんと伝えられる言葉を使わないとな、という自分の反省になりました。
中学受験って意味あるの?
我が子は中学受験をさせたけれど、子供つながりの友人の中には「中学受験させるの?!」という聞き方をしてくる人が居ました。
だいたいは子供同士の話から伝わったり、塾の往復で見掛けられたりなどで知られることがほとんどなのですが、その後私と会った時に聞かれるので、どういう意味かと考えてしまいます。
その後の会話の感じで、だいたいはタイトル通りの意味が込められているのだろうな、と思うわけで「子供が受験したいって言うから(『仕方なく』の意)」と言っていましたが、実際は「親がさせた」とのだと思います。
価値観の違い
前置きはさておき、結論から言うと中学受験に意味があるかどうかって、価値観の違い、というだけであって、それ以上でもそれ以下でもないし、どちらも正しいと思うのです。
「中学受験に意味があるのか」の変形バージョンで、「偏差値50以下で中学受験する意味があるのか」っていうのもありますが、それも同じですよね。
中学受験させた理由
私自身は地方出身で、中学受験とはまったく縁がありませんでしたし、何がなんでも私立中と思っていたわけではありません。
現在たまたま、中学受験という選択肢が増えた地域で子育てをしていて、どちらが子供にとって良いのかと考えた時に、
・子供が精神的に幼く、周りに流されやすい
という点で私立中の方が良いだろう、という結論になりました。
中学受験界に足を踏み入れた当時、公立中が荒れていたということも大きかったです。
良くも悪くも色んな子が居て、その中で学ぶ社会性や成長も捨てがたかったのですけれど、その環境で子供を育てきる自信が私には無かった、ということかもしれません。
子供の性格上、可能性は低いと感じていても、周りに流されないとは限りませんし、流される方向が私の手に負えるものじゃなかった時を想定してしまうと、躊躇してしまったのでしょうね。
子供が嫌がったらどうしただろう?
嫌な事をさせるのは難しいので中学受験させてなかったと思います。
どうしても嫌なことは私が何を言ってもやらない子だったので、折に触れ話すことはあってもきっと実現しなかっただろうと思います。
我が子に「中学受験どうする?」と聞いたのは、小3の年の暮れ。
学童に行かせていたので4年生からどうしよう?というのもあり、受検するなら通塾で一石二鳥と考えたのも確かです。
その時の子供の質問と私の応え。
■中学受験しなかったらどうなるの? → 高校受験するんだよ
■中学受験に落ちたらどうなるの? → 高校受験するんだよ
■中学受験しても入って嫌になったら高校受験できるの? → できるよ
この結果、子供の答えは「じゃぁ、中学受験するよ」でした。
その後、成績が芳しくなかったり、勉強しなかったりで「中学受験を継続するか?」という話を親子で何度かした事もあったのですが、子供の気持ちが変わることはなかったです。
その頃には、子供にも意地があったのでしょうか。
そんなわけで
振り返ってみると、我が家にとっての中学受験は意味ありました、親にとって。
あえて書くと子供の第3希望、親の第1希望でしたけれども。
そしてこのまま、親子にとって「意味のあるものだった」と思ったまま、中高生生活が送れるといいな、と思います。