ドロドロから抜け出したい

 

おばちゃんの心の中、おばちゃんなのにドロドロしています。

 

まずは過去の恋愛

なぜか男がダメになっていく、というのがあります。

1)仕事より趣味でどんどん出世街道から離れていった男

2)仕事をやめてヒモになった男

とかですけれど、それぞれ最初からそうだったかというとそうではないのですよね。

もともとそういった素養はあったのでしょうけれど、おばちゃんと過ごすうちに顕著になっていったように思います。

 

仕事でも

チームで仕事をしていても、いつの間にか、おばちゃんの負担だけが増えていき、おばちゃんアップアップの溺れ死に寸前になります。

 

きっとおばちゃん自身に問題がある

そんなわけで、おばちゃん自身に問題があると思っているわけですが、それが何かわかっていないから、繰り返してしまうのでしょうね。

何が原因なんだろう?と一番顕著だったヒモ男とのことを考えるわけですが、思い当たることと言えば、結局、何か問題が発生した時に解決するのはおばちゃんだった、ってことかなと。

 

子供の頃のことを振り返る

おばちゃんの両親はとても仲が悪かったです。

「むしろもういい加減に離婚してくれ」と子供だったおばちゃんが思うほど。

生活面では、父親が金銭感覚のおかしい人で、母親がお金の面でとても苦労していて定年まで働いていました。

反面、育児面では父親は子供好き、母親は子供に無関心、参観日に来るのはいつも父親、何かあってきちんと話を聞いてくれるのは父親でした。

母親は無関心というより、お金の苦労があったから子供に目を向ける余裕がなかったというのもあったかもしれませんが・・・やっぱり無関心だったと思います。

例えばケガをしたとして、母親にはまずは怒られるというのが常でしたから。

そういうことは彼女の中で、面倒な事、になっていたのではないかと思います。

 

母親とは気が合わない、父親は・・・

そんな子供の頃があって、母親とは気が合いません。

何に関しても否定的なことを言われ自分がいかにできたかを語られてきたので、用事が無いのに話をする気にはなれません。

父親のことはお金のことを理解できるようになってからは客観的にロクデナシだなと思うし、父親がああでなければ母親もまた違っていたのかも、と思います。

ただ、子供の頃は父親の事が大好きだったという記憶が残っています。

それが口ではなんと言ってもヒモ男の存在自体を肯定してしまうことになってたのかな、と思ってみたりもします。

 

自己肯定感が低いままなのかも

結局、誰かに頼ってもらうこと、それに応えることで、自分の存在意義を確認しているのかな、とも思います。

それが結果的にダメ男を作り出してしまうのかな、いわゆる共依存な状態だったかも。

今はそれが子供になっている気がしなくもないので、とっとと解決しておかないと子供の自立を邪魔してしまいそうで、ちょっと怖いです。

 

そんなわけで

大きなことを言えば、今の日本の経済状況だったり、果ては政治についてだったりを考えてしまう日もあるのだけれど、まだまだ闘うべきは自分の内面のおばちゃんでした。